HAT-J拡大役員会開催を振り返って……

 11月30日(水)東京都山岳連盟会議室で拡大役員会が開催された。会議名は少し大げさだったかもしれませんが、25年間代表を務めた「田部井淳子亡き後のHAT-J」をテ-マに今後のHAT-Jの進み方をより多くのHAT-Jの会員の声が聞きたいと思い、過去にも役員や委員をつとめ、また日頃の運営や活動に協力的な会員に声をかけさせてもらいました。
 20数名の出席がありましたが、数人の方以外は理事はじめ日頃からコミュニケ-ションがとれる会員の出席が多く、その会員がどういうことを考えどんなことを言うかが解り、また日頃、会長や理事長が言いたいことなどが知っているようなメンバ-の集まりになりました。
 高齢化、会員の減少対策、財政難の心配、情報の軽視、回答不問、進路の明確化のためにスロ-ガンなどの有効活動の強化、記録、議事録の報告の充実など情報や知識の共有などすでに指摘されている事項に、指導怠慢な執行部への批判的意見が多かった。執行部として各理事の行動を責めたてたり、理事会の責任を問うだけでは問題解決にはならない。不信を感じたら自分がその任にあたって改革していく道が新生HAT-J再興の早道、会長、理事長はじめ理事がある一定の期間で交代していける体制の確保が重点課題と再認識させられる会議だった。
役員としての責任と使命、会員としての責任と義務のバランスに組織がなりたっていくなかで、昨今の事業や活動への会員の参加、参画が少ないことに組織存続の不安感ありの意見もでたが、役員と会員、野党と与党のような体制でお互いの責任をなすり合う環境になることなく、会員平等の立場にたって会員としての責任と義務を果たし、HAT-Jを支えたい。

田部井淳子さんを送る会に韓国や台湾の友人も参会

田部井淳子さんのご逝去の報は、速、世界の登山界にも伝わりました。11月18日にネパ-ルのカトマンズで開かれたアジア山岳連盟総会でも田部井淳子さんへの黙祷から開会し、国際山岳連盟会長はじめ各国の出席者からお悔やみの言葉をいただきました。
  送る会には李仁禎アジア山岳連盟会長ら三名、台湾からも三名の友人が出席してくれることになりました。今や国際人田部井淳子としてHAT-Jの誇りとし、国際登山界との交流のなかに山岳自然環境活動も田部井淳子さんの意志をついていきたいものです。

田部井淳子元HAT-J代表を送る会

2016年10月20日腹膜ガンでご逝去され、HAT-Jの創設者として、25年間代表を務められたが、すでにマスコミや登山界でも高名となり、どのようにより多くの人たちに送ってもらったらよいかとご家族を中心に準備を進めていましたが、この度、12月18日日曜日の13時から、田部井淳子さんの母校、昭和女子大学のグリ-ンホ-ルと学生食堂で送る会を行うことになりました。当然、HAT-Jとしても長年の代表を務められ、山岳自然環境活動への功績を讃え同志の仲間として組織ぐるみでお送りしたいと考えております。より多くの会員の献花で送りたいと思います。
 「田部井淳子さんを送る会」ご多忙とはおもいますが、万障お繰り合わせのうえご参会下さい。
 日 時  2016年12月18日(日)13:00
 会 場  昭和女子大学グリ-ンホ-ル/学生食堂
 会 費  3,000円

アジア山岳連盟(UAAA)、マカル-・カンチェンジュンガ初登頂60周年記念祝典

カトマンズで11月17日-20日とマカル-とカンチェンジュンガの初登頂から60周年をお祝いするイベントとアジア山岳連盟(UAAA)総会が開催され、国内外の関係者が多く集まりました。
マカル-の初登頂はフランス隊、カンチェンジュンガは英国隊が初登頂、日本人としては日本山岳会東海支部隊が初登頂ということで登頂者尾崎祐一隊員、田中元隊員、登頂者ではないが当隊の隊員尾上昇元日本山岳会会長も同行、UAAA総会の関係で、八木原圀明日山協会長、小野寺斉事務局長、アジア山岳連盟顧問として神﨑忠男、講演者として中村保JAC名誉会員らと日本人が訪ネ、現地の日本人を含めカトマンズ晩餐会と洒落込んだ。
マカル-組は現地でのイベントに参加、小生は八木原氏、中村保氏そして中村氏友人の永井剛氏らガイドの五人でチャ-タ-したヘリコプタ-でネパ-ル地震で被害の大きかったランタン谷へ飛び、久しぶりにヒマラヤの高峰の風にあたり満足して帰国した。

チベット・チョモランマベースキャンプの旅


  チベット、チョモランマのベ-スキャンプから帰りました。天候に恵まれよくチョモランマが見えましたが風が強く、気温が低く、早々に引き上げました。ほとんどが初めてという仲間たちも喜んでくれ満足して帰りました。
 1980年以来8度目のチョモランマBC訪問ですが、チベットの環境が全く変わってしまいました。ラサ市内は大都会、ビルが立ち並び、看板を見てもホテルラッシュ。ラサから更にチョモランマに向かって西蔵鉄道が延長され、シガツェまで汽車で行けます。シガツェから幾つかの峠を越えてシガ-ル、ティンリ-、そしてパンラ峠を越えロンブク僧院を過ぎベ-スキャンプに後2Kmぐらいのところまで完全舗装。今回はマイクロバスで寝ていきましたが、昔、寝てもいられない悪路をジ-プでしか行けなかった時代の山旅が懐かしく思い出された。埃りもないが味気もない。チョモランマBCには大きなゴミ箱が設置され以前よりはゴミがなかったように見受けた。ゴミもなかったがテントもなく殺伐としたBCには予想外に感じた。
舗装道路化してスピ-ドを出し過ぎるドライバ-が多く交通規制にきびしいものがあった。仲間とラサで分れひとりカトマンズへ空路飛ぶことにしたが、出入国の管制が厳しく、帰りの航空券もラサ、成都経由だったが、チベットへの再入国を拒否され
カトマンズからチベット、中国を通らないル-トの航空券を買い直して帰国した。